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ことばくよう>衣斐隆浩さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、「ことばくよう」について、花村周寛さんから呼びかけられて遠方(東海地方)より参加いただいた、衣斐隆浩さんに寄せて頂きました。




應典院 ことばくよう に参加して

先日は大変貴重な会に参加させていただき、ありがとうございました。
震災のことについて、いろんなことを考えさせていただき、
長年抱いていた悩みも、解きほぐすことができました。
感謝の気持ちを込めて、私のこれまでの経験を踏まえながら書いてみました。
長文で恐縮ですが、ご一読いただければ幸いです。

***

私は神戸から100キロ以上離れた場所で震災の日を迎えました。
私の住む地域では、震度5を記録するも、街は無傷で、誰一人傷を負わなかったために、震災を特別なものとして感じることはありませんでした。ブラウン管の向こうから流れる、廃墟と化した神戸の街は、どこか嘘っぽく映りました。別の遠い世界で起こっているような気がしましたし、フィクションドラマを見ているような感じがしました。
そんな私が震災のことに興味を持ったのは、大学一回に出会ったAさんの影響です。Aさんは芦屋で震災を経験し、2003年の1月17日、悲しそうな目で震災のテレビを見ていました。その寂しそうな背中に私は何も声をかけてあげることができませんでした。じっとその姿を見つめることしかできない私でした。

後から知ることになりましたが、Aさんの家は、根元から崩壊した、あの阪神高速神戸線の辺りにあったそうです。Aさんは震災について多くを語りはしませんでしたが、兵庫県が正式発表している震災の被害マップから、住んでいた家が全壊したことは容易に推定できました。多くの人が犠牲になるのを目の当たりにし、不便な避難所で長時間過ごしたことと思います。それは、小学5年生という多感な時期にはあまりにも酷な体験であったことでしょう。同じ時期に私はなんてのんびりした生活をしていたのか、それを考えると途端に胸が引き裂かれるような気持ちになりました。

その後、Aさんの家がある芦屋の街を歩いてみました。阪急芦屋川駅を降りて川沿いに南下すると、かつて海岸線のあった防波堤に辿り着きます。そこにはウォール・ペインティングといって、300メートルにもわたり市民の描いた絵が壁に描かれていました。震災後、復興を願う市民がそれぞれの思いを壁に表現していったのですね。小さな子どもたちが精一杯描いた力強い作品には胸を打たれましたし、おじいちゃんが描いたであろう、孫の笑顔には涙が出そうになりました。どの作品にも、描く人の魂が込められていました。ウォール・ペインティングを通して、人と人がつながり合っていくのを感じました。「人間ってあったかいなあ」と素直に思いました。

今まで震災に対し無関心でいられた自分が恥ずかしくなり、震災と向き合うことにしました。自己満足であったのかもしれませんが、時間をかけて取り組む問題であるように思えたのです。
大学では人間科学部の渥美先生が震災ボランティアの研究をされていて、講義をこっそり聴きに行ったり、先生のゼミで研究している友人に話を聞いたりしました。時間ができれば図書館まで行き、神戸新聞の過去の文献を調べることもありました。震災に関する知識やデータは、この7年間で驚くほど増え、被災地がどれほどひどい打撃を受けたのか知ることができました。

しかし、その一方で、どれほど知識が増えたとしても、実際に被災された人の気持ちを窺い知ることはできないのではないかと感じるようにもなりました。
私は山手から見る神戸の街並みが好きで、この風景を撮りに週末神戸まで出かけることが多くなりましたが、神戸の街の至るところにある慰霊碑を見るにつけ、私の見る神戸の街は震災後の神戸であって、震災前の神戸ではないということが心のどこかで引っかかっていました。目の前に広がっているのは、偽物の神戸である。本物の神戸は1995年に崩れてしまって、私は永遠に本物の神戸を知ることなくこれから生きていくことになる。偽物と本物。そんなことを考えると、頭が混乱してしまいました。

被災するという経験を(神戸の人と)共有していない自分が、これから何をすべきなのか分からなくなってしまっていました。被災することがそんなに大事なのか、それならいっそのこと神戸で生まれていたら周りから認めてもらえたのかもしれない。そう思うようになっていました。

***

そんなとき、應典院で開催されているコモンズフェスタ2010を知りました。大学時代からお世話になっていた花村先生は、他分野にわたり活躍され、一貫して社会の問題をどうやって解決していくか考えておられました。今回の震災の企画についても、きっと素晴らしいものになるに違いないと思いました。震災時に就職していなかった世代が、分野や地域を越え、15年経った震災をどのように捉えるか、という視点は今までにないものでした。震災とどう向き合っていくか、ずっと考えてきた私にとって、これほどの機会はないと思いました。

小雨が降る中、辿り着いた應典院は、およそお寺とは思えない建物でした。コンクリート打ちっぱなしの現代的建築は、お坊さんが本当にいるのか疑ってしまいたくなるような印象でした。震災とアートとの関係は、入口から始まっていたように思います。
1階の花村先生の作品を見た後で、被災者の方から寄せられた手紙を見ようと、2階に上っていきますが、階段ももちろんコンクリート。コツコツと歩く足音が響きます。階段にお地蔵さんが置かれてあったことと、左手に墓地が広がっていたことから、ようやくここがお寺であることを認識することができました。

階上にある気づきの広場には緑の芝生が広がり、その上には花村先生の作成したトランスパブリックが多数掲げられていました。が、肝心の手紙らしきものはどこにも見当たりません。もしや、もう供養が終わったのでは、と焦る私は、山口さんのおかげで、手紙が気づきの広場のあちこちに埋もれていることを知ることができました。
街のあちこちに震災で心を痛めた人々の日常の溢れる思いが埋もれていて、広場が街を自然なままに表現していることに、はっとさせられました。瓶の中にある手紙、壁にくくりつけられた手紙、自転車のかごに入れられた手紙、本に挟まっている手紙。注意深く見ると、たくさんの手紙があることに気付きました。私がたくさんの手紙を見落としてしまったのは、そんなふうに実際の街を大雑把に眺めていたからなのかもしれません。特別なところではなく、身近なところにちゃんと震災のヒントは存在しているのかもしれない、と考えさせられました。

***

たくさんの手紙に胸を打たれました。
失った人の悲しみ、失っていない人の悲しみ、今後どうやって生きていくのかという悩み。気づきの広場には、震災で生まれた生き場のないいろんな思いが溢れていて、それらに接するたびに、やりきれない思いになりました。

私はその中で、京都で震災を迎えた女性の方の手紙を選びました。
ぐらぐら揺れていたのは、地震の方ではなくて、私自身の心の方でした。震災に対して何もできず、間延びしながら生きていました。という手紙は、何もできずに今後の生き方を模索しているのが私の心境と似ているように感じたからです。
普段書く何十倍も速度を緩め、文字を写し取っていきましたが、書いた人の字の(止めや撥ねといった)特徴から、彼女が文章中でどんな気持ちになって書いたのか想像しました。人が紙という媒体にアナログで書く(パソコンによる出力ではなく)行為は、思いをのせる行為で、それをトレースすることは、その人の思いに耳を傾け、真摯に受けとめることだと気付きました。忠実に、私情を挟むことなく人の思いをしっかりと引き取ることで、書いた人の思いはちゃんと供養されるのだと解釈することができました。

トレースした後、参加者の間で手紙を読み合い、その中で一つだけ単語を広辞苑で調べましたが、一つの言葉にたくさんの意味があることに驚かされました。当たり前のことですが、多義語の組み合わせで文章は成り立っています。それでも意味を履き違えることなく読めるのは、書く人が文章中で意味を限定しているからですね。手紙をしっかり読み取ることは、書いた人の思いを丁寧に読み解く行為に他ならなかったのです。

せっかく書いた手紙をなぜ燃やしてしまうのか。お寺に来るまでそんなことを考えていた私は、しかし、気持ちが穏やかになっていくことを感じていました。京都の女性の思いを引き取った私は、しっかり成仏させてあげようと思いました。彼女の思いは私の心に生きています。それは、私が祖父の葬式で感じた、寂しいけれどすっきりした、あの不思議な経験に似ていました。

お焼香の後、手紙を燃やします。ごうごうと火は燃え盛り、私は一瞬手紙を入れるのをためらいました。きっと成仏されるには大きなエネルギーが必要なのでしょう。その力に圧倒されました。手紙はあっという間に黒く小さくなっていき、彼女の思いは無事に供養されました。

参加者の方との歓談のとき、私は最後、山口さんと岩淵さんに救われました。私はずっと自分のことを震災の当事者でないと決め込んでいましたが、そんなことはない、あの1995年1月17日、テレビで神戸のことを聞いて少なからず心を痛めたはず、それならば震災の共有体験者として、そのとき世界に自分が存在していたと言えるのではないか、と声をかけていただいたのです。仏教ではそもそも、無縁であることはありえないと考えるそうです。無関心であった私も、震災についてこれから自分なりの供養ができるのではないか、と考えることができました。ありがとうございました。

***

仏教とアート、というとても相容れることのなさそうな両者が、供養というストーリーでつながっていたことに、ただただ驚きました。街に埋もれているたくさんの人の思い。それを掘り起こし、解きほぐし、その思いを変色させることなく供養し、また土に返してあげること。人の一生とまるで同じですね。人は亡くなっても、他の多くの人の心の中で生き続けますが、震災の思いも、きっと世代を越え、生き続けていくのだと思います。アートがその手助けをしてくれたように、私は感じます。その意味で、小さな女の子が二人、あの場で大人たちの話を熱心に聞いてくれたのは、(大人たちは難しいことをしていると思われるかもしれませんが)経験として貴重であったと思います。それは、彼女たちにとっても貴重であったのと同時に、震災を伝える社会の立場から見ても大変に貴重であったのではないでしょうか。

震災についてできることは、こうやっていろんな思いを汲み取っていくことではないかと思います。確かに、神戸は変わりました。震災前の神戸を見たことがないので、変わったと表現するのもおかしいと思いますが、しかし、いくら変わったとはいえ、多くの人の思いがまだ生きています。今の神戸も充分神戸であって、そこに、先の偽物本物といった概念は出てこないはずです。神戸を愛する者として、そして、神戸で生活する人たちを愛する者として、神戸の身近にある、いろんな人々の思いに耳を傾けていけるような、そんな人間でありたいと思います。

そして、自分自身が、生きることに対して前向きでありたいですね。何事もなく毎年1月17日を迎えることができるのは、奇跡です。自分で人生を選び取っているようで、やはり生かされているのですね。感謝しながらこれから生きていこうと思います。


最後になりましたが、今回の参加者の方とも何かしらつながっていけたら、と思います。共に過ごしたあの経験はとても大きいと感じています。さらに次の15年、あるいはその先の30年、震災の人の思いを伝承していけることができたらいいなあと思います。

ボーズ・ビー・フリースタイル>杉本恭子さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、「ボーズ・ビー・アンビシャス関西」「フリースタイルな僧侶たち」のコラボレーションで行われた「ボーズ・ビー・フリースタイル」のトークイベントについて、超宗派仏教徒によるインターネット寺院「彼岸寺」でお坊さんインタビュー集「坊主めくり―現代名僧図鑑」を担当されている、杉本恭子さんに寄せて頂きました。




私が住んでいる京都にはたくさんの社寺があります。京都に住む人にとっては、大きなお寺の境内は子供の遊び場(広いですからね)であり、通勤通学の通り道。あるいは、仕事の合間の休憩場所でもあったりします。そして、年間を通じて全国からたくさんの方がお寺を見に来られています。場所として、あるいは建物は人々の暮らしのなかで生きていますし、昨今の仏像ブームもあり仏像は美術品として高い関心を集めています。でも、ちょっとヘンだなと思うのです。そのお寺を支えている人たち、あるいはその場所や建物を「お寺」にしている人たち、つまりお坊さんとの出会いが少ないのではないでしょうか。

京都でライターの仕事をしていると、京都をテーマにした雑誌などの取材で、たびたびお寺に伺うことがあります。すると、建物より仏像より(失礼!)お坊さんたちのお話の方がズッと面白いのです。なにげない話のなかにも「それもご縁……」などと仏教テイストな言葉をスッとさしはさまれたり、仏教的なものの見方で考えておられたり。しかも、その「仏教テイスト」がなんだかとても私たちの感覚に沁みるんですね。そんなこんなで、お坊さんに対する関心が高まりすぎて、昨年春から『彼岸寺』というウェブサイトでお坊さんのインタビュー連載をしています。

今回は、ずっと行ってみたかった應典院で、先日インタビューしたばかりの池口龍法さんがトークされるということでワクワクしながら参加しました。ところで、お坊さんっていうと「すごい修行して話しかけるのも恐れおおいんじゃないか」とか、「ベンツで豪遊してるんじゃないか」とか、いずれにしても極端なイメージでとらえられがちですよね。でも、池口さんや他のお坊さんたちのお話される様子を見ていると、お坊さんたちも一生懸命悩みながら仏教を表現する方法を模索しておられるのだなと思います。

お寺にはお寺の伝統的な世界があり、守らなければならないことや受け継がなければいけないこともあります。でも、お寺のなかに生きるお坊さんたちが「現代に生きる方法」を考えてくれないと、私たちが大好きなお寺もまた現在に生きることができません。池口さんや、参加されていたお坊さんたちの熱い思いと、「お寺が好き」「仏教が好き」と思われる方々の気持ちが結び合っていくことで、日本のお寺とお坊さんから新しいムーブメントがどんどん生まれてくるんじゃないか。そしたら近ごろ暗い話題の多い日本もちょっと気楽になるんじゃないか……。そんなことを期待してしまうようなトークライブでした。

ことばくよう>さとうひさゑさんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「4つの物語」と銘打ち、震災15年のことばを取り扱った企画「ことばくよう」のトレースからご参加いただいた、さとうひさゑ(ART PLAN MAZEMAZE)さんに寄せて頂きました。




「ことばくように参加して」 さとうひさゑ

 わたしは今回の催しに参加している間複雑な気持ちでした。
手紙を写したり、朗読したりしながら、わたしがこの言葉を供養するのに適切な人間なのだろうか、と。
手紙に書かれたことばと、その向こうにある人と、今ここにいる自分。
 また、ほかの参加者が読み上げる手紙の内容を聞いていると、より気持ちをどこに置いていいか分からなくなりました。
震災という起点から始まるそれぞれの経験、それぞれの気持ちそして1995年1月17日から現在までの時間…
わたしとは安易に共感できない距離がありました。

 最後に手紙を火にくべてると、初めて自分の感情らしきものが湧いてきました。悲しくて燃え尽きるまで見ていたいと思いました。

 途中進行役の岩淵さんが、今回の仕掛けについて「お葬式のときにお坊さんはどんな気持ちなんだろう」ということから発想した、とお話されました。
 数日たった今思い返すと、わたしが感じた「距離感」はそういう宗教者の気持ちなのではないかと感じてきました。
 「ことば」と「供養」の間をとりもつ触媒になる体験だったのだろうと思います。

ミニ★シティであそぼう!>三矢さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「ミニ★シティであそぼう!〜みんなの声でまちが生まれる〜」をおとなボランティアとして2ヶ月間支えて頂いた三矢さんに寄せて頂きました。

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12月から準備を続けてきた子供たちのミニ★シティが、1月23日・24日、ついにかたちになって現れました。
誰もがワクワクと不安を抱えながら迎えた当日でしたが、動き出すまちを目の前にして、私は改めて子供たちの持っている力に気付かされました。

私がミニ★シティに参加したのは第三回目のミーティングからでした。自分の思い描くまちのイメージをいきいきと話してくれる子供たちに、自分までワクワクしながら聞き入っていました。何より発想がすごい。このまちにはプラネタリウムや音楽ホール、映画に未来のスーパーマーケットまであるらしいのです。ごくごく普通のまちを想像していた私は、「そんなのがあるの!?」とびっくり。そしてそれぞれのイメージがはっきりしていて、聞けば子供たちが具体的に答えてくれるし説明してくれることにまたびっくり。自分のアイデアや疑問を積極的に言葉にして伝えようとする子供たちの一生懸命さに、ただただすごいなあ、という言葉が出るばかりでした。

そしていよいよミニ★シティ当日。
わたしは市長の部屋と選挙管理委員会のおとなボランティアをしていて、3人の市長の仕事をそばで見ていました。市長の仕事は選挙にはじまり、市民の相談に乗って問題を解決すること、まちの見回りや案内、記者のインタビュー応対など、なかなか多忙です。しかも市長の仕事は完全無報酬、つまりボランティアなのです。それでも彼らは自分から立候補して、一生懸命仕事をしていました。市民からの相談が解決したあとの嬉しそうな表情を見て、目をきらきらさせて言っていた「市長楽しかった!」の言葉を聞いて、何だかとても心が温かくなりました。人に必要とされること・仕事があることは、人を活かすのかもしれないなあ、と彼らを見ていて思いました。

ミニ★シティでは、動き続けるまちの中で子供たちのアイデアがどんどん実現していきました。お花屋さんでお花券が配られたり、ボーナスつきで求人募集がされたり、空きスペースに新しいお店が開店したり…。お客さんに自分たちのお店に来てもらうために、あちこちで様々な工夫がされていました。2日目にはプラネタリウムがオープンし、コンサートが開かれるなど、全然飽きることがありません。おとなボランティアの方が「大人が作ったまちなら遊ぶのは2日で十分だけど、ミニ★シティならいくらでも遊べる」とおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。子供たちの無尽蔵の想像力と創造力によって作られたミニ★シティは、笑い声やお店の宣伝、音楽やまちをつくる音で2日間とても賑やかでした。

そんなミニ★シティも最終日を迎え、片付けの時間に。まちにお別れと感謝を告げるセレモニーと記念撮影のあと、子供たちはまだまだ名残惜しそうな様子を見せながら少しずつ片付けを始めていました。準備に比べて片付けは一瞬で済んでしまい、からっぽになった本堂を見るとミニ★シティは夢の彼方の出来事になってしまったようでした。静かになった本堂で最後に振り返りをして、皆さんの感想を共有しました。それぞれのミニ★シティの感想を聞くのはとても面白く、子供たちの声を聞くことの大切さ、何よりその楽しさに気付かされました。

自分でまちを作り企てる楽しさやワクワク、作り上げたことに対する自信や達成感は、きっとこれからそれぞれのどこかへ繋がっていくのでしょう。ミニ★シティを通して子供たちはきっと色々なことを感じ、気付いただろうし、そんな子供たちを見ていて私自身も多くのことに気付かされました。

子供の時にミニ★シティに出会いたかった、とも思います。
気付きの機会を与えてもらえて、とても感謝しています。ありがとうございました。
ミニ★シティの子供たちとまた会えますように。

グリーフタイム>齊藤由華さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「グリーフタイム」にご参加いただいた、齊藤由華さんに寄せて頂きました。



死別の悲しみが今目の前にあったわけではなく、なかなか感じられなかった部分も多かったと思います。
ただ気付いたのは、私は焦っているんだな、ということでした。
失ってしまったもの、見えないもの、空いた穴を埋めようとして、何とか前に進もうとして、焦っていること。
ゆっくりと落ち着いた空間の中で、見つけられたことです。
グリーフタイムとは、そういうもののような気がします。
死別の悲しみの中で、喪失志向と回復志向というものがあると資料にありましたが、どちらにしても、落ち着くことで自分の様子が見えてきます。
見えてくることで受け入れることもできるでしょう。
改善はまだまだ先でも、自分を見付けて受け入れることができれば、心は穏やかに居られます。
そういったことが、忙しい日常では出来ないことが多いと思います。
立ち止まってみるのも大切なこと。
それが出来る時間だったので、参加できてよかったと思いました。
そして、定期的に開催していただけるみたいなので、これからこの時間が必要なときのために、この場を知れてよかったです。

齊藤由華

editing body around the sounds>藤田和宏さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は初日に行われた中川裕貴さんのパフォーマンス「editing body around the sounds」について、藤田和宏さんに寄せて頂きました。



editing body around the soundsでの発見と期待
藤田和宏

 私が到着した際には、何も行われていませんでした。少なくとも最初の時点で私の目にはそう映りました。初めて訪れた應典院のおそらくパフォーマンスが行われるだろう場所には、ただ「気付きの広場」という名の人工芝の公園があり、何人かがくつろいでいただけでした。しかしこれさえもが実はパフォーマンスでした。

 サウンドアーティスト・中川裕貴さんによる「editing body around the sounds」は、11時間連続のパフォーマンスで、チェロの演奏が軸ではあるものの、その音は普段誰もが聴くような心地よい音楽ではなく、無調性でありむしろノイズに近いものをエフェクターに通してミニマル的に展開し、これに應典院の外の音をマイクで集音して、チェロ演奏と電気的に合成するというものでした。音楽を奏でるために存在するチェロがノイズに近い音を、屋外の車の音や風の音などそれこそノイズと呼ぶにふさわしい音と合成することで、最早私たちの常識とは全くかけ離れたものを形成していました。しかし同時にそのノイズをリズミックに加工することで、ノイズと音楽という一見全くかけ離れた音の世界が互いに肉迫しているような奇妙な体験をすることになりました。つまり、ノイズという無秩序がリズムという秩序によって意味があるものに知覚されるという、意味の倒錯と体の持つ不思議を体感することになったのです。特に終演間近、用意されていた目覚まし時計が鳴り始めた時、私は思わず止めなければと反射的に思ったのですが、音が速くなるにつれて中川さんのチェロと刺激的なアンサンブルを始めたのには驚きました。まさしく日常の非日常化が目の前で起こっていることに、大変な興奮を覚えたのです。
 しかしこの企画で更に注目すべきは、この演奏が11時間の間のいつ行われるかが中川さんの気分次第で、他の誰にも知りようがないということでした。演奏していない時間までもが実はパフォーマンスの中に含まれているという、パフォーマンスの体裁や定義に問いを投げかける斬新な試みでした。

 また、應典院の本堂にてイベントがある際には、チェロの演奏を止めて、チェロやメトロノームや目覚まし時計など、日常的で、本来固有の目的を持つ物たちを使って影絵のオブジェを作っておられました。これらはそれぞれ音楽を奏でる、一定リズムを刻む、時刻を知らせる、人を起こすなどの目的を持っていますが、この場ではそれらは全てを捨て去って、光のオブジェとしての新しい目的を与えられていました。日常に溢れている物に別の側面からの価値が与えられる可能性を感じさせられ、日常を豊かに見つめ直すための導入として、とても興味深いものがありました。

 この企画の中で、私にとって特に興味深かったのは、これらのパフォーマンスが観る者、聴く者にどう認識されているのかということでした。「公園の風景と完全に同化し、いつ演奏が行われるかわからないチェロ演奏」と、「日常的な物が光に照らされて影絵を作っている」という状況は、見方を変えれば、「どこかのチェリストが公園でやっているきまぐれな練習」や「ただ夜の照明に日常的な物が照らし出されて影が出来ている」とも受け取ることが出来ます。つまり、観る者次第でこれらは立派なパフォーマンスと認識されたり、あるいは、ありふれた日常の光景と認識される可能性もあるのだと感じたのです。本堂で催されていたトーク・コンピレーション「みんなが見つめている風景を共有するためのパーティ」の休憩時間に中川さんのご紹介があり、その時影絵のパフォーマンスをされていましたが、多くの方が周りに集まって影絵をじっくり眺めている光景は、常識的な公園という場所ではまず見かけないものでした。もし現実の公園で何の断りもなしに誰かが日常ありふれた物で影絵を始めたら、果たしてあの休憩時間のように通路をふさぐほどの人だかりが出来たでしょうか。そう考えると、パフォーマンスの成立条件とは何だろうと考えされられます。通りすがりの人が、公共の空間においてパフォーマンスをパフォーマンスと認識するのはどこからか、あるいは、提供する側とされる側が互いに満足するようなパフォーマンスにおいて、両者の間に成り立っていることとは何か。例えば私はアマチュア管弦楽団に所属しておりますが、私たちのような団体は演奏会用ホールという閉じた場所において、演奏会を催す側とホールに足を運ぶお客様との間で、互いに空間を共有しようとする積極的な姿勢を基盤に据えてパフォーマンスを成立させています。このような形態を常と考えてきた私にとっては、普段はあまり深く考えたことがないこれらのこと、社会の中で習慣的に決まってしまっているパフォーマンスの在り方について、大いに立ち止まって考えさせられるものがありました。

 屋内に引き込まれた屋外の音とノイジーでリズミックなアンサンブルをするチェロ、屋内の中に作られた公園という「公共」空間、その公園で繰り広げられるどこからがパフォーマンスでどこからが私的な趣味なのかの区別も曖昧になる11時間に及ぶ断続的演奏パフォーマンス。あらゆるものが倒錯した中で最後に残って明らかになる「ウチとソト」の新しい定義、「公共」の持つ意味、「パフォーマンスの成立条件」とは何なのか。おそらく社会全体に定着する明確な定義は未だ存在せず、その解体と分析を行っている最中なのでしょうが、これらの企画が新たな価値やムーヴメントを生み出す原動力であるならば、きっとこれから楽しいことになるだろうと感じました。何が起こるのか今後に期待できる、とても楽しい一日でした。

ことばくよう>倉田めばさんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「4つの物語」と銘打ち、震災15年のことばを取り扱った企画「ことばくよう」に、2通のお手紙を寄せていただき、また、20日のワークショップにもご参加いただいた、倉田めばさんに寄せて頂きました。



「ことばくよう」では詩の学校で書いた2篇の震災にまつわる詩を送ったものの、まだこの企画の全体像がつかめておらず、最終日「浄焚の声と火に見えるもの」を見届けようとコモンズフェスタの会場にでかけました。
 應典院2F気づきの広場でたまたま手にしたのは、被災され、かけがえのない肉親を喪った年配の女性がしたためた一通の悲痛な手紙でした。
 場所を幼稚園の一室に移し、その達筆な手紙の上にトレペを重ね、文字をゆっくりと丁寧に鉛筆でなぞっていくワークと手紙に書かれた言葉を朗読するワークを参加者全員で行いました。
 15年前、震災直後の報道を見たり、用事で神戸に出かける機会もあり、実際に被災された方の言葉を聞いたりもしましたが、この方の手紙の言葉をなぞったり、声に出して読んでみてはじめて、被災された方の心の痛みが感情の深いレベルで少し実感できました。なんというトラウマでしょう!喪失感・・・罪悪感・・・悲嘆・・・慙愧の念。そして死者への誓いと祈り。
 言葉にされることない心の爪あとは、深い傷口を開いたまま、水平線の見えない暗黒の海に死者とともに呑み込まれていきます。トラウマは語ることで回復に向かうといいます。
 「ことばくよう」のフィナーレは大蓮寺での手紙のお焚き上げ。燃え盛る火の中で手紙を書かれたこの方の心の傷はずいぶん癒されたのだろうと手を合わせながら信じることができました。
 願わくはもっと多くの被災された方々が、この企画を知ることができればと思いました。

                                 2010.1.31めば

手仕事は語る>中尾幸子さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は大石尚子さんによる「ITOあそび」と小野千佐子さんによる「つきいちcafe」のコラボレーション企画、「手仕事は語る」について、中尾幸子さんに寄せて頂きました。



温故知新~手仕事から気づいたこと~

今回進行役をされていた小野千佐子さん(株式会社ティプア代表)に紹介いただいたことがきっかけで参加しました。
小野さんとは、私が担当している「カフェバー南ぬ風」の自然(じまま)生活雑貨コーナーでティプアさんの布ナプキンを取り扱わせていただいているというご縁です。(めちゃめちゃキュートな布ナプキンですよ!)
私自身は昨年から布ナプキンを使うようになり、その快適さに「なんでだろう」と疑問をいだくようになりました。
今回のテーマが、「糸をまとうからだ、からだをまとう糸」だったので、何か糸口がみつかりそう!!楽しそう!とわくわく参加しました。

「糸を紡ぐ」ということは、初めての体験でしたが、細かい手作業で予想外に難しかったです。少し紡げたと思ったら縒りが甘くてすぐに切れての繰り返しでした。手元を気にしながら、皆でぽつぽつと語り始めました。

講師の大石さんが糸を紡ぎだしたきっかけは、阪神・淡路大震災だったそうです。震災で生活のパイプラインがストップした時、無力さを感じたためと。
大石さんの話から、その当時の悲しみがすごく伝わってきました。「なんで生き残ってしまったんだろう」と感じたとおっしゃられていました。
でも、その経験から糸を紡ぐということを実践し、教え、人々に自立力を促している姿は、本当にすばらしいと私は思いました。

私たちは、「衣食住」何かが欠けても、生きていくことは困難だと思います。

大石さんが「衣食住」の中でなぜ「衣」を選ばれたのか。それは、それぞれに考え方の違いはあると思いますが、「食」は自然の力でできたものを頂くことができます。「住」も場所によるかもしれませんが、すぐ死につながることはないと思います。
「衣」は、技術が要ります。私は手元でどんどんほつれていく糸を見て、すごく納得してしまいました。

また、昔の人はこんな風に糸を紡ぎながら、何を語っていたんだろうと妄想しました。
その時語っていることは、もしかして糸にも紡がれていってるのかな。ふとそう感じました。

手織りのものに、ぬくもりを感じること。紙ナプキンから布ナプキンに変えて快適な月経になったこともすべて繋がっているのかなと感じました。

私たちは、発展や便利を求めすぎて、すぐに何か大切なものを忘れがちになっていると思います。

自分を含め大切な人を守りたい時、今もっている裕福さはどのくらい力をもっているのでしょうか。

「古きをたずねて新しきを知る」昔の技術や考えを学び、「今」に生かしていく。
大切なことを学ばせていただきました。本当にありがとうございます。

中尾幸子


グリーフタイム>荒谷直美さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は9月から應典院で開催されている「グリーフタイム」について、以前より参加されている荒谷直美さんに寄せて頂きました。




私にとりまして、グリーフタイムの‘空間と時間’は今とても心地よいものになりつつある
というのが一番はじめに浮かんだ率直な気持ちです。
日常の中で、亡き母のことを思い出し、どうしようもないほど会いたくて、
でも会うことはできない虚しさ、悲しさ、寂しさのあまり、ただひとり泣いたりすることが今でも
しばしばあります。このような自分自身のどうしようもない気持ちを逃がせる場、受け皿として
グリーフタイムはとても意義があるのではないかという気がしています。
とくに、カウンセリングを受けるという形式をとらず、静かに思い思いのまま時間を
すごすということが、かえって日常の自分ともうひとりの自分との対話ができるような気がして、
落ちついた気持ちで少しはなれたところから、自分を見直せる感じがするのかもしれません。
そして、何をしてもどうであっても自分を受け入れてもられるという安心感があの空間にはあるような
気がします。
そこがあの空間に足を運ぶことに心地良さを感じられる要因なのだ思います。
私は母を亡くして、4年半になりますが、辛い気持ちや喪失感を一人でで抱え込み、悩んでいた時期が
長くありましたので、もっと早くこのような機会に出逢えていたらとつくづく思います。
自分のきもちはすべてそのままでいいと認められ、受け入れられることはとても大切であり、
自分に向き合えたときに大きなひとつの山を乗り越えられる気がしています。
このような意味でも、グリーフタイムがより多くの人に広まり、心に安らぎを取り戻せるものとなることを願っています。

荒谷直美
(奈良女子大学大学院 博士課程 人間文化研究科)

5回目のエクソダス>室岡久美子さんのレポート

都市で様々な集団実践を行なうプログラム「エクソダス」の第5回目。舞台は難波〜道頓堀周辺。今回のモニターは大阪市立大学の文学部に所属されている室岡久美子さんです。

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道頓堀では先生(花村周寛さん)が橋の真ん中に立って手をあげて、私たちがい入れ替わりに通りハイタッチするパフォーマンスをやりました。テレビカメラが来ていたり、路上パフォーマーがきていたりと、一般人も旅行者もパフォーマンスするのに慣れている感じがして、もう少し人数がいたら迫力があったと思いました。

周りが何だ?!と不思議な感じで見ていたのは、私たちが一斉に携帯カメラで街灯を撮っていたときだった。全員で携帯片手に何の変哲もない街灯を撮るという光景は、一般人にはどのように映っていたのだろう?前回もそうだったが、“集団で何かをする”という行為は、独特な雰囲気と人の意識を引く力がある。

日本人は強調性を重んじられて育ってきいているので、人前で何かをするという事は苦手な人が多いと思う。しかし、自分で何かをやってみる、逆に行なわれているパフォーマンスをみるという経験は、自分や他人を理解するという点において役に立つ要素だと思う。日常のきちんとした生活の流れから、ちょっとはずれて行動してみると、自分の知らなかったチャームポイントに出会えるかもしれない。

つきいちcafe in 應典院>松本典子さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は<つきいちcafe in コモンズフェスタ>について、チラシ(バージョン3、右から2番目)にも登場されていた松本典子さんに寄せて頂きました。



「オンナゴコロはツキイチカフェで学びましょ!」


ワタシは、
バリバリの「健康オタク」です。
「健康オタク」が高じてヨガの先生になってしまったホドに!

なので、月経について語り合う、「ツキイチカフェ」てのを開催してる人がいるんだ!
と、
「どんな方がしてはるんやろ?」
という興味で参加しました。

そこには、
「布ナプキン」を作るシゴトをされている主催の小野さん夫妻、
「ジェンダー問題」を取り扱う女性の方々。
その映像を制作する会社の方々。
などなど、

普段なかなかカジュアルな会話をかわすコトない、二つ世代くらい上の女性やら、
さすがのワタシも「生理」について語りあわない男性もいました。


世代が上の方からすると、
「生理」って「ケガレモノ」
で、
男性からすると、
「どう扱っていいかわからないシロモノ」
みたいで、
「みんな、大変だなぁ~!そういえば、ワタシもそんなんだったな~」
といろいろ思い出しました。

今でこそ、
「健康であるコトがシゴト」なワタシですが、
学生時代、
「公認会計士という難関資格」を目指していたコロは、
タバコを吸ったり、
不眠不休だったり、
「絵にかいたような不健康」で、
いつもイライラしていて全然楽しくなかったのです。

生理痛もひどくて、
生理がくること「オンナであるコト」が憎らしいくて憎らしくて、、、

勉強を続けれなくなるホドカラダを壊したきっかけで、
「カラダに優しい生活」をするようになってから、
とても楽しくて、
不思議と生理痛もやわらいだ気が、、、


生理をうけいれてから、ワタシは生きやすくなった気がします。

少々オオゲサですが、、、

ワタシの体験談はさておき、
女性はこれくらい「生理にホンロウ」されているんです。

男性のみなさんは、
「オンナってわかんねぇよなぁ~」
とクダを巻いてるヒマがあるなら、
「ツキイチカフェ」で「月経」について学びましょ!

女性のみなさん、
男性は驚くホド「月経について無知」です。
「だからオトコっていつまでもコドモでやだわっ!」
ってぶりぶりいうヒマがあるなら、
自らのカラダにちゃんと向き合って、なにが原因で自分が不機嫌なのか、
探って下さい。

問題はカレの行動ではなく、
アナタのお腹が冷えているだけかもしれません。

アナタのイライラはアナタの性格が悪いからではなく、
「カラダの不調が原因」かもしれない。
それを上手に伝えれたら、
どうして欲しいかを伝えれたら、
もっと、ずっと、
楽しくなるはずです。


「月経について隠すのは、個人じゃなくて社会システムの問題」て意見もありました。

それも大きな原因だとは思いますが、
社会のせいにしてなにもしないのはどうだろ?

とりあえず、
自分の回りから少しずつ変えていきましょーよ!


そんな「場づくり」をしている小野さん夫妻の活動にぜひ参加してみて下さいませっ!

ワタシは男性に必要な会だと思いましたよ~。

(写真:ティプア提供)

「体感映画」のススメ>石田峰洋さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は<「体感映画」のススメ>について、8月の「住み開きアートプロジェクト」にもご参加をいただいた石田峰洋さんに寄せて頂きました。



應典院主催のコモンズフェスタの一企画である「体感映画のススメ」に参加した。ゲストは平岡香純監督。

個人的な感想を一言にすると、「今までにない映画体験をした」、「こんな映画があるんだな」と。あるいは、「こんな風に映画を見たことはなかったかもしれない」。

平岡香純監督は学生時代から映画を撮り始め、数々の作品を制作しており、今回上映された「落書き色町」では調布映画祭2008でグランプリ受賞、世界15ヶ国、40の映画祭での上映など、国内外で大活躍されている。モンモン★トゥナイトというバンドでの音楽活動もしている。

当日の流れは、はじめに監督の紹介(+最新作「プリミ恥部な世界」のダイジェスト版上映)、監督のトーク、映画「落書き色町」の上映、そして参加者との質疑応答と続く。

監督にとっての映画とは、非日常への想像力を喚起するもので、「もっとわくわく、面白く、刺激的」で、自由な映画を求めていて、それは最新作の「プリミ恥部な世界」でのライブやダンスパフォーマンスなどが入り乱れる構成に顕著に現れているようだ。(しかし私は未だに「プリミ恥部な世界」を見ていない!)
印象に残っているのが、「ストーリーは映画の一つの要素にしか過ぎない」、そして観客が主体的に映画から“何か”を感じ取ってくれればよい、という言葉。
普通、映画には解釈がつきもので、それが監督が提示する何らかの「答え」なのか「問い」なのか、あるいはその他の何なのかは分からないが、映画の中の世界背景、キャラクター、人間関係や、それらの変化などといった様々な要素の集合体が物語で、それは映画の本質的なものであると考えていた。映像表現が感覚的なものであるということは信じているが、どうしても映画の中から論理的な部分を抽出して、何らかのテーマについての「問い」なり「答え」なりを探すという見方に慣れてしまっているので、上映前の監督の語りがなければ、間違いなく混乱していたに違いない。あるいは、そのような「答え」を見つけられず違和感を覚えていただろう。そして、これは難解な映画だと、それ以上見ることを放棄していたかもしれない。実際見てどうだったかと言われても、うまく言葉では言い表せないが、どこか哀しく、儚く、しかし台詞や美術、演技などの表現は強烈で、でも総体的にとても美しいと感じた。「言葉にはできないけれど、なんとなく何かを感じた」が許されるということが新鮮だった。
鑑賞後の質疑応答での、参加者が平岡監督の映画の見方として「考える」という言葉を使うことを、その都度「考えるというか、”感じる”」と言い直す平岡監督の姿がとても印象的だった。

イベントでは、「映画とは?」、「映画製作の動機は?」といった本質的な話を実にユニークな体験談などを交えて説明していて、その体験談を聞くだけでもすごく面白い。

5月には九条のシネヌーヴォで最新作である「プリミ恥部な世界」が上映されるという。人に説明しにくい映画なのでとりあえず見て「感じて」ほしいと思います。私は絶対見に行きます。


(左は平岡監督、右は企画者の秋田光軌<築港ARCインターン>、真ん中が石田さん)

詩の学校「ことばくよう」特別編>魚谷尚代さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、2000年から應典院で開催されている上田假奈代さんの「詩の学校」のコモンズフェスタ「ことばくよう」の特別編「<ことばを結ぶ>」について、詩の学校への念願の初参加となった魚谷尚代さん(劇団コーロ)に寄せて頂きました。



かなよさんが、詩はこういうことを意識して読んでねと教えてくれて、詩を読むことに少しは寄り添えたかなと思います。
役者としての目線からは、表現を仕事にしていない方のほうが大胆に素敵にびっくりするような朗読をされていて、とても勉強になりました。
帰りに一緒に帰った方と共通点が多く、最近の参加イベントも一緒だったりとかで、ワークショップに参加してよかったなと、おもしろい縁を感じました。
ありがとうございました。

editing body around the sounds>はが美智子さんのレポート

 コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は初日に開催された中川裕貴さんによるチェロ等の演奏「editing body around the sounds」について、はが美智子さんに寄せて頂きました。




初めてうかがう應典院は、今回のフェスタの一環の展示で花村周寛さんによって標識が張り巡らされており、“荘厳”された不思議な空間でした。入り口にあるスピーカーからは、もわもわとしたノイズがかった弦の音が響いてきます。

工事現場のような黄色と黒のテープに誘われながら空間を進んでいくと、公園のような広場の一角で中川さんが演奏していました。(入り口のスピーカーは、彼が出している音を拾っていたようです。)その音色は、誰かに聞かせるためのきれいな音や楽しげな音というよりも、むしろ“音楽”的とされるような音から逃れていく自己探求の修行のようでした。

私がうかがったときには、中川さんはもう既に半日近く演奏されていたところで、音がその場に馴染んでいるような、公園と音色がぴったりくっついてしまったかのような印象を受けました。この人工芝の公園も花村さんが仕立てられたもので、花村さんが主催されている「エクソダス」のこともその場に展示された資料から知ることができました。それによると「エクソダス」は、日常社会から少しだけ逸脱した行為を“あえて”やってみて、公共空間の中にある暗黙のルールを試す集団なのだそうです。その傍らで、押し付けがましい説明を語ることもなく、周り(社会)に目もくれず音の自己探求を延々と(11時間も!)続けている中川さんと「エクソダス」の試みは、どこか繋がっているような気がしました。

“普通”というものと比べると、一見それらは、理解できない異質な行為で、異質なものかもしれません。理解できないからと排除することもできるけれど、健康的なのは、異質なものも当たり前にそこにあるものとして容認すること(理解することが必要なのではなく)ではないかなとぼんやりと感じました。日常と非日常の交差するお寺でおこなわれることで、説得力を持つ場が出現していたように思います。音楽を聞きに来たのだけど、少しだけ社会勉強をしたような気持ちになりました。

(はが美智子)

「体感映画」のススメ>釜中悠至さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は<「体感映画」のススメ>について、8月の「住み開きアートプロジェクト」にもご参加をいただいた釜中悠至さんに寄せて頂きました。




コモンズフェスタ2009/2010の企画の一つである 「体感映画」のススメ〜平岡香純監督を迎えて〜に参加いたしました。
平岡監督は「落書き色町」でロッテルダム映画祭や国内外の数々の映画祭で上映されており、
「プリミ恥部な世界」では映画+音楽ショーという新しい試みにも挑戦されているとのこと。
見たことのない世界、感覚に触れるのを楽しみに会場の應典院に向かいました。

当日の構成はトークセッション、「落書き色町」の上映会、参加者との意見交換の3部構成。
トークセッションでは秋田光軌氏が進行役として監督が持つ映画に対する考えについて伺いました。
監督からは、日常の体験を通しどのような感覚で映画を創っているのかという話をお聞きしました。

印象に残ったのは「趣味はロケハン、スカウト」「ちゃんとストーリーはあるけど解釈は観た人が感じたもので良い」という発言。
日常生活から想像力を働かせており、実際スカウトした人も多数出演しているそうです。

トークセッションの後に観た「落書き色町」は、今まで観たどの映画とも違い新鮮な印象を受けました。
大阪の見覚えある町並みですがどこか非日常。出演者は独特の衣装とメイクに不思議なしゃべり方。
映画が面白くなるにはどんな方法があるのか?そんな事を普段から考えて、理論が積み重なった結果がこの作品なんだと感じました。

質疑応答を終えて、一貫して感じたのは、答えは一つでは無いということ。
監督の映画には観る人それぞれの解釈で向き合う事ができる余地があることでした。
答えありきの最近のドラマや映画とは違い、監督の作品には抽象的で新しい世界が広がっています。

「事実などは存在しない、ただ解釈だけが存在する」と言っていた偉い人がいましたが、それに似た哲学的な発想で創られているのでしょうか?
ともあれ、監督の話を聞いた後にその作品を観るというのは貴重な経験でした。これからも益々のご活躍を期待しております。
平岡監督、企画された皆さま、どうもありがとうございました。

(釜中悠至)




(会場左前部分でメモを取られているのが釜中さん)

詩の学校「ことばくよう」特別編>きむいっきょんさんのレポート

 コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、2000年から應典院で開催されている上田假奈代さんの「詩の学校」のコモンズフェスタ「ことばくよう」の特別編「<ことばを結ぶ>」について、きむいっきょんさんに寄せて頂きました。




みんなで15年前を振り返って詩を作り、朗読することは少し祈りに似ている気がしました。
それぞれが抱くばらばらの気持ちが、「詩」という表現によって積み上がっていく。
言葉が重なる。
積み上がる。
同化したり混ざったりするのではなく、違うからこそどんどん積み上がる。
それはなんだか祈りに似ているなあと感じました。

(きむいっきょん)


寺子屋トーク第57回>諏訪晃一さんのレポート

 コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、「寺子屋トーク」について、2人目となる諏訪晃一さんに寄せて頂きました。(諏訪さんには当日、会場にてTwitterでの中継を担当いただき、以下のURLから内容を見ることができます。)


(第一部)
http://twilog.org/osakakochin1/asc#100117
(第二部・第三部)
http://twilog.org/osakakochin2/asc#100117



1月17日の「寺子屋トーク」を拝聴して、私が感じたことをレポートさせていただきます。全体の内容の要約としては大塚郁子さんのモニターレポートが読みやすくまとまっていると思われますので、そちらをご参照いただければと思います。個人的な関心に端を発するレポートですが、「『自分』を掘り下げることで他人と繋がる」(西村, 2009, p.149)という言葉を手がかりに、今回の「寺子屋トーク」から得られた私なりの気づきを共有させていただきたいと思います。

私が大学に入学し、縁あって神戸の市民活動に関わり始めた頃は、「震災から5年の節目」という言葉が盛んに用いられていた時期でした。市民活動の関係者の間では、「震災で得たあの教訓を、いまの社会に活かそう」「震災の頃にはできていたあのことが、なぜ今の社会でもう一度実現できないのか」という熱い議論が交わされていました。自宅で地震の揺れを感じながらも、震災当時はほとんど何の活動もできなかった私は、自分が「遅れてやってきた世代」であることを痛感せざるを得ませんでした。

その後も、細く長く、神戸の市民活動に関わり続けている中で、今回登壇された4人の方々のご活躍ぶりは、幾度となく聞かされてきました。ですから、今回のモニターレポートをお引き受けした際も、少し気が重かったというのが正直なところです。これだけ活躍されている方々が一堂に会される機会が貴重であることは十分理解しつつも、そこで展開される議論を自分はどう受け止めればいいのか、という感覚がぬぐいきれなかったのです。

しかし、いい意味で、その予想は裏切られました。今回のシンポジウムを通して語られたことの核心は、当時の成功体験というよりは、むしろ、当時直面した「不全感」だったのではないか、というのが私なりの受け止めです。震災ボランティアの活動の現場を覆っていた万能感と高揚感の中だからこそ、かえってぬぐいがたく立ち現れる「不全感」が、今回の「寺子屋トーク」の通奏低音だったように私には感じられました。

例えば、「万能感」「コンバットハイ」「人間て何でもできる」という言葉が語られた一方で、震災当時の活動や、その後の活動の中に触れる中で、「ショックだった」「くやしかった」「力の限界も感じた」「こっぱずかしかった」「いまだに消化し切れていない」「自信を喪失させるものがあった」という声が聞かれました。

多少誇張した言い方をすれば、今回のパネリストの方々は、「何でもできるはずのこの現場に、(いま目の前にいる、この人との、この関係の中で)何もできない自分がいる」ということに、自覚的であった方々なのではないかと思います。そうでなければ、震災ボランティアとしての活動は、それ自体で完結してしまい、次の活動につながることはなかったのではないでしょうか。そして、(震災当時ほど強烈ではないにしても)その後の活動の中で感じた様々な「違和感」に敏感であったからこそ、震災から15年を経た今も「震災世代」という表現にリアリティを与えるような活動が可能になっているのではないでしょうか。

今回のコモンズフェスタの「プレトーク 自分をいかして生きる」のゲストとしてお越しになった西村佳哲さんの著書の中に、次のような一節があります。

(引用開始)
今になってふり返れば理路整然と説明できるこのような話も、当時の自分には失敗と模索の繰り返しでしかなかった、と宮田氏は語る。いずれにしても大事なのは、自分がしっくりこないことや疑問に思うことを素通りさせずに、つねに意識しつづけること。自分を大事にすること、自分らしさを模索し続けることだという。「やめずに続けていれば、その時にはまだわからなくても、五年とか一〇年とか経った時に形になるのです」
(西村, 2009, p.149)
(引用終わり)


「震災から5年目」の頃から10年を経た今、私は自分の仕事の中で、震災から15年目の節目を大学生として迎えた世代の人たちと向き合っています(その学生たちは震災15年目のこの日を神戸で過ごしていて、この会場には来られなかったのですが)。今となっては理路整然と語られがちな震災当時の「あの出来事」も、当時は「傷つき、気づく」プロセスだったに違いないということ、そしてそのことを意識し続けることが、少しずつ自分を変え、社会を変える可能性を開いていくこと。そんなことを少しずつ伝えていければと感じた、1月17日の寺子屋トークでした。

■引用元■ 西村佳哲 (2009)『自分の仕事をつくる』ちくま文庫


(諏訪晃一)

寺子屋トーク第57回>大塚郁子さんのレポート

 コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「寺子屋トーク」について、大塚郁子さんに寄せて頂きました。



寺子屋トーク第57回
+socialの編集者たちが語る 思いをつなぐしくみ・地域に根ざすしかけ

阪神・淡路大震災から15年。
多くの人生を変えた大震災は、当時、学生ボランティアとして関わったゲスト4人の生き方にも大きな影響をもたらしました。今回の寺子屋トークは、お金の流れを変える仕組みづくりに取り組む深尾昌峰さんと佐藤大吾さんの対談、地域のまちづくりに取り組む谷内博史さんと稲村和美さんの対談、パネルディスカッションの3部構成。今、先進的な活動をする4人が一堂に会した場をコーディネートするのは、同じく学生ボランティアとして活動した山口洋典主幹です。



●既存のものに回収されない 深尾さん×佐藤さんの対談

震災ボランティアはのべ約130万人、その数を上回る人たちが今、NPOで社会に必要とされる活動に関わっているといわれています。
15年前はゼロだったNPO。
新政権となり今では「新しい公共」づくりで果たす役割に大きく期待されてもいますが
家族を養う給料が得られないため「男の寿退社」(佐藤)が存在する世界でもあります。
おふたりは、その運営基盤の弱さを指摘し、
深尾さんは公益団体法人京都地域創造基金を、
佐藤さんは特定非営利活動法人をチャリティ・プラットフォームを立ちあげ、
いずれも寄付文化を育て、NPOを支えるしくみづくりに取り組んでいます。
両団体には、寄付者自らが応援したい先、お金の使い道などを選べるようなしくみがあります。
(詳しくは各団体HP 京都地域創造基金 http://www.plus-social.com/index.html 
 チャリティプラットフォーム http://www.charity-platform.com/ )
NPOの運営の弱さを税制などの政策に責任転嫁する声も聞かれますが、NPO側にも問題があります。
多くのNPOの立ち上げの原動力が「猛烈な自己体験」(佐藤)にあるために、
事業計画などあとまわしです。
最初は仕方なくとも、世の中の問題解決をはたすまで団体を存続させるには、
周囲の賛同と信頼と支援を得るための情報開示は不可欠です。ところがここがとても弱い。
NPO700団体で5億円を集めていますが、
資金調達にたけた団体はそのような「外との言語を持っています」(深尾)
そして、寄付を集めるには「上り調子感の演出が大切」(佐藤)で、
それは目標設定をわかりやすい方法で伝えることだといいます。
計画に即して活動した内容を報告し、社会にその必要性を理解してもらえる団体には、
寄付が集まります。NPO側は明確な説明責任を果たすことになりますし、
第三者をつよく意識した社会的な活動に磨きをかけることになります。
「既存に回収されない」(深尾)で、常にその時々に必要なあり方を創造し、
イノベーションしていく。
15年を経てNPOがよりよく動けるインフラづくりに着手しているおふたりは、
市民社会が目指すべき方向のかじ取りをしているように感じます。

●わたしとわたしたちの間 稲村さん×谷内さん

おふたりは学生ボランティアを束ねる立場として震災にかかわり、その後、稲村さんは、兵庫県議会議員として、谷内さんは石川県七尾市の職員として、地域に根差した活動をされています。
被災地で、「自分たちで決めたことはよく守る」ことやそうして決めた「ルールやしくみが自分たちの生活をよくする」(稲村)こと、「役所がするものと思っていたものは自分たちでできる」(谷内)ことを次々と目のあたりにします。学生時代に人間の底力にふれたことがおふたりのその後の生き方におおきく影響したようです。
95年はボランティア元年と言われています。被災した人たちもボランティアもお互い初体験。
親のすねをかじる学生が被災者の自立支援を語り、気づかぬうちに抱いていた万能感を被災者にたしなめられる、「暖かな家からやってくるあなたとは違う」と言われ、被災していないことに後ろめたさを感じずにはいられない現場。
被災者とボランティア、立場の違う二者ですが、
「あなたとわたしではなく、私たちとくくりたい。ここで起こったことは私たちの問題」(稲村)とともに、対話を重ねて傷ついても気づいていくこと、そして関わることの大切さが語られました。
2007年の能登地震も経験されている谷内さんは、一方で、全国からボランティアが集まったが、仕事をふるほど困っておらず、町内会が機能していて被害が少なかったといいます。
農業があり、米も野菜も作っていて食べものがある。またお互いが支えあうコミュニティが残っている。限界集落といわれるけれど、都市のほうが限界なのでは?といいます。
けれども、ボランティアを縁に、今、若者が祭り神輿の担ぎ手となって町の行事に参加しており、支援する・されるを超えた関係が生まれています。
震災時にかぎらず、そのようなコミュニケーションが日常的に交わされることが今、
地域でも、地域を超えても(そして都市においては最も)求められているのかもしれません。



●どんな世界を目指す? パネルディスカッション

2組の対談を終え、会場の質問を受けながらパネルディスカッションは進められました。2つ印象に残るやりとりを拾います。
稲村さん、谷内さんの対談で語られていた当事者性について「わたしたちとわたしを埋めるにはどうすればいいか」との質問に深尾さんは、「ただ寄り添う。ただ横にいることが尊い。まったく同じ位置には立てないが、それぞれの立ち位置でしかできないことが多様にある」稲村さんは「問題が起こった時に、無関心であることは中立ではない」とこたえました。立場は違うけれども、ともにその困難に寄り添うことはできる。同じになれないからといって、関心を向けないのは悲しいことです。
最後の質問は「どんな世界を目指したいか・どう生きていくか」
深尾さんは、「より公正で公平な社会。弱い自分をみせられる社会。理不尽なことに声をあげられる社会」
谷内さんは、「能登に開く窓になる。能登の風通しをよくしたい。」
稲村さんは「社会を変えるには、自分を変えないと。シチズンシップ教育を充実させ自分が変わっていける社会」
佐藤さんは、「まずは知ること、そして自分でやってみること。支援が継続する社会」
とこたえました。
市民力を発揮し、復興の思いをつなげた15年前の活動。さまざまな学びを繰り返し、成熟させた4人のゲストの活動を知りました。より市民が社会参加できるお金の流れをつくったふたり、自分の住むまちに焦点をあて活動するふたり。新しいしくみをつくることと同時に、地域にもともとある力に光をあてることにも注力したいものです。
また、この日に多忙きわまりないゲストを集めた寺子屋トークを実現させ、進行役に徹していた山口主幹に次回は、語り手となって登壇いただきたいと思いました。5年後くらい?に期待しています。

(大塚郁子)

生きかたに響くことば>蔵田翔さんのレポート

 コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「生きかたに響くことば」について、第一部と第二部、両方に参加した、蔵田翔さん(大蓮寺小僧インターン2期生)に寄せて頂きました。



お寺が持つ場の力に心がふっと軽くなった。
ことばの展示会が開催されている部屋に入ると、壁一面に色んな思いが込められた沢山のことばが飾られている。
気付けば、ことばが持つ雰囲気に包み込まれ、やさしい気持ちに満たされていた。

心に響くことばに引き寄せられ
ことばが自分に問を投げ掛けてくる
すると普段自分の心からは聞けない声が聞こえてきた。

そんな思いを人に伝え、語り合う中で新たに見えてくる自分に戸惑い、受け止め、素直になっていく。
私にとって「お寺」と「ことば」による癒しの場あるのと同時に、本来の自分を見つめ直せた場であったように思う。

リフレクト・アクション>小野千佐子さんのレポート

 コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「リフレクト・アクション〜素材を交換して本をつくろう!」(主催:大阪市、企画運営:財団法人大阪城ホール・特定非営利活動法人大阪アーツアポリア)について、「つきいちカフェ」「手仕事は語る」で参加をいただいている株式会社ティプアの小野千佐子さんに寄せて頂きました。




 私は、本が大好きです。内容を読むことも楽しいけれど、本という形が好き。紙の束がつづられている様は、本当に美しいと思う。装丁家や表具師にあこがれた時期もあった。そんな私は、「素材を交換して本をつくろう!」というタイトルに魅了された。これは、参加するほかない。
 なのに、少し遅刻しての参加となってしまった。私が到着したとき、すでにみんなはドローイング中。しかも、何やら抽象画を描いている。ちょっとドギマギしつつ、とにかく一枚絵を描く。そして、アーティストのロセラ・マトモロスさんがコスタリカからご持参くださった、バナナやコーヒーからできた紙や、リサイクルペーパーを21枚受け取った。その1枚ずつに、先程のドローイングを写していく。「うわ~、手でコピー! しかも21枚も!」21枚・・・。参加者が21名だったから。みんなに、1枚ずつ自分の作品をわたす。私の手元には、みんなが描いた21枚の作品がやってきた。
 その後は、自分の持って行った素材を自由に使いながら、その21枚を本にしていく作業。持参の素材を、近くの席のひとと見せっこしたり、少しおすそ分けしてもらったり。
 途中で、コスタリカ産のコーヒーとチョコレートをいただきながら、ほっと一息。でも、だんだん夢中になっていく。家でひとりで何かをつくるのではなく、みんなで大きな机を囲みながらつくるのは、子どものころの工作の時間の様。
 できあがった本は、みんなそれぞれ全く違う。私は、本をめくる時の音をテーマにした。せっかく素材の異なる紙の束でつくるのだから、と思ったから。完成品はイメージ通りにはならなかったが、「あ~、おもしろかった!」