寺子屋トーク第57回>大塚郁子さんのレポート

 コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「寺子屋トーク」について、大塚郁子さんに寄せて頂きました。



寺子屋トーク第57回
+socialの編集者たちが語る 思いをつなぐしくみ・地域に根ざすしかけ

阪神・淡路大震災から15年。
多くの人生を変えた大震災は、当時、学生ボランティアとして関わったゲスト4人の生き方にも大きな影響をもたらしました。今回の寺子屋トークは、お金の流れを変える仕組みづくりに取り組む深尾昌峰さんと佐藤大吾さんの対談、地域のまちづくりに取り組む谷内博史さんと稲村和美さんの対談、パネルディスカッションの3部構成。今、先進的な活動をする4人が一堂に会した場をコーディネートするのは、同じく学生ボランティアとして活動した山口洋典主幹です。



●既存のものに回収されない 深尾さん×佐藤さんの対談

震災ボランティアはのべ約130万人、その数を上回る人たちが今、NPOで社会に必要とされる活動に関わっているといわれています。
15年前はゼロだったNPO。
新政権となり今では「新しい公共」づくりで果たす役割に大きく期待されてもいますが
家族を養う給料が得られないため「男の寿退社」(佐藤)が存在する世界でもあります。
おふたりは、その運営基盤の弱さを指摘し、
深尾さんは公益団体法人京都地域創造基金を、
佐藤さんは特定非営利活動法人をチャリティ・プラットフォームを立ちあげ、
いずれも寄付文化を育て、NPOを支えるしくみづくりに取り組んでいます。
両団体には、寄付者自らが応援したい先、お金の使い道などを選べるようなしくみがあります。
(詳しくは各団体HP 京都地域創造基金 http://www.plus-social.com/index.html 
 チャリティプラットフォーム http://www.charity-platform.com/ )
NPOの運営の弱さを税制などの政策に責任転嫁する声も聞かれますが、NPO側にも問題があります。
多くのNPOの立ち上げの原動力が「猛烈な自己体験」(佐藤)にあるために、
事業計画などあとまわしです。
最初は仕方なくとも、世の中の問題解決をはたすまで団体を存続させるには、
周囲の賛同と信頼と支援を得るための情報開示は不可欠です。ところがここがとても弱い。
NPO700団体で5億円を集めていますが、
資金調達にたけた団体はそのような「外との言語を持っています」(深尾)
そして、寄付を集めるには「上り調子感の演出が大切」(佐藤)で、
それは目標設定をわかりやすい方法で伝えることだといいます。
計画に即して活動した内容を報告し、社会にその必要性を理解してもらえる団体には、
寄付が集まります。NPO側は明確な説明責任を果たすことになりますし、
第三者をつよく意識した社会的な活動に磨きをかけることになります。
「既存に回収されない」(深尾)で、常にその時々に必要なあり方を創造し、
イノベーションしていく。
15年を経てNPOがよりよく動けるインフラづくりに着手しているおふたりは、
市民社会が目指すべき方向のかじ取りをしているように感じます。

●わたしとわたしたちの間 稲村さん×谷内さん

おふたりは学生ボランティアを束ねる立場として震災にかかわり、その後、稲村さんは、兵庫県議会議員として、谷内さんは石川県七尾市の職員として、地域に根差した活動をされています。
被災地で、「自分たちで決めたことはよく守る」ことやそうして決めた「ルールやしくみが自分たちの生活をよくする」(稲村)こと、「役所がするものと思っていたものは自分たちでできる」(谷内)ことを次々と目のあたりにします。学生時代に人間の底力にふれたことがおふたりのその後の生き方におおきく影響したようです。
95年はボランティア元年と言われています。被災した人たちもボランティアもお互い初体験。
親のすねをかじる学生が被災者の自立支援を語り、気づかぬうちに抱いていた万能感を被災者にたしなめられる、「暖かな家からやってくるあなたとは違う」と言われ、被災していないことに後ろめたさを感じずにはいられない現場。
被災者とボランティア、立場の違う二者ですが、
「あなたとわたしではなく、私たちとくくりたい。ここで起こったことは私たちの問題」(稲村)とともに、対話を重ねて傷ついても気づいていくこと、そして関わることの大切さが語られました。
2007年の能登地震も経験されている谷内さんは、一方で、全国からボランティアが集まったが、仕事をふるほど困っておらず、町内会が機能していて被害が少なかったといいます。
農業があり、米も野菜も作っていて食べものがある。またお互いが支えあうコミュニティが残っている。限界集落といわれるけれど、都市のほうが限界なのでは?といいます。
けれども、ボランティアを縁に、今、若者が祭り神輿の担ぎ手となって町の行事に参加しており、支援する・されるを超えた関係が生まれています。
震災時にかぎらず、そのようなコミュニケーションが日常的に交わされることが今、
地域でも、地域を超えても(そして都市においては最も)求められているのかもしれません。



●どんな世界を目指す? パネルディスカッション

2組の対談を終え、会場の質問を受けながらパネルディスカッションは進められました。2つ印象に残るやりとりを拾います。
稲村さん、谷内さんの対談で語られていた当事者性について「わたしたちとわたしを埋めるにはどうすればいいか」との質問に深尾さんは、「ただ寄り添う。ただ横にいることが尊い。まったく同じ位置には立てないが、それぞれの立ち位置でしかできないことが多様にある」稲村さんは「問題が起こった時に、無関心であることは中立ではない」とこたえました。立場は違うけれども、ともにその困難に寄り添うことはできる。同じになれないからといって、関心を向けないのは悲しいことです。
最後の質問は「どんな世界を目指したいか・どう生きていくか」
深尾さんは、「より公正で公平な社会。弱い自分をみせられる社会。理不尽なことに声をあげられる社会」
谷内さんは、「能登に開く窓になる。能登の風通しをよくしたい。」
稲村さんは「社会を変えるには、自分を変えないと。シチズンシップ教育を充実させ自分が変わっていける社会」
佐藤さんは、「まずは知ること、そして自分でやってみること。支援が継続する社会」
とこたえました。
市民力を発揮し、復興の思いをつなげた15年前の活動。さまざまな学びを繰り返し、成熟させた4人のゲストの活動を知りました。より市民が社会参加できるお金の流れをつくったふたり、自分の住むまちに焦点をあて活動するふたり。新しいしくみをつくることと同時に、地域にもともとある力に光をあてることにも注力したいものです。
また、この日に多忙きわまりないゲストを集めた寺子屋トークを実現させ、進行役に徹していた山口主幹に次回は、語り手となって登壇いただきたいと思いました。5年後くらい?に期待しています。

(大塚郁子)

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