ラベル 07・08ことばくよう の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 07・08ことばくよう の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

ことばくよう>衣斐隆浩さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、「ことばくよう」について、花村周寛さんから呼びかけられて遠方(東海地方)より参加いただいた、衣斐隆浩さんに寄せて頂きました。




應典院 ことばくよう に参加して

先日は大変貴重な会に参加させていただき、ありがとうございました。
震災のことについて、いろんなことを考えさせていただき、
長年抱いていた悩みも、解きほぐすことができました。
感謝の気持ちを込めて、私のこれまでの経験を踏まえながら書いてみました。
長文で恐縮ですが、ご一読いただければ幸いです。

***

私は神戸から100キロ以上離れた場所で震災の日を迎えました。
私の住む地域では、震度5を記録するも、街は無傷で、誰一人傷を負わなかったために、震災を特別なものとして感じることはありませんでした。ブラウン管の向こうから流れる、廃墟と化した神戸の街は、どこか嘘っぽく映りました。別の遠い世界で起こっているような気がしましたし、フィクションドラマを見ているような感じがしました。
そんな私が震災のことに興味を持ったのは、大学一回に出会ったAさんの影響です。Aさんは芦屋で震災を経験し、2003年の1月17日、悲しそうな目で震災のテレビを見ていました。その寂しそうな背中に私は何も声をかけてあげることができませんでした。じっとその姿を見つめることしかできない私でした。

後から知ることになりましたが、Aさんの家は、根元から崩壊した、あの阪神高速神戸線の辺りにあったそうです。Aさんは震災について多くを語りはしませんでしたが、兵庫県が正式発表している震災の被害マップから、住んでいた家が全壊したことは容易に推定できました。多くの人が犠牲になるのを目の当たりにし、不便な避難所で長時間過ごしたことと思います。それは、小学5年生という多感な時期にはあまりにも酷な体験であったことでしょう。同じ時期に私はなんてのんびりした生活をしていたのか、それを考えると途端に胸が引き裂かれるような気持ちになりました。

その後、Aさんの家がある芦屋の街を歩いてみました。阪急芦屋川駅を降りて川沿いに南下すると、かつて海岸線のあった防波堤に辿り着きます。そこにはウォール・ペインティングといって、300メートルにもわたり市民の描いた絵が壁に描かれていました。震災後、復興を願う市民がそれぞれの思いを壁に表現していったのですね。小さな子どもたちが精一杯描いた力強い作品には胸を打たれましたし、おじいちゃんが描いたであろう、孫の笑顔には涙が出そうになりました。どの作品にも、描く人の魂が込められていました。ウォール・ペインティングを通して、人と人がつながり合っていくのを感じました。「人間ってあったかいなあ」と素直に思いました。

今まで震災に対し無関心でいられた自分が恥ずかしくなり、震災と向き合うことにしました。自己満足であったのかもしれませんが、時間をかけて取り組む問題であるように思えたのです。
大学では人間科学部の渥美先生が震災ボランティアの研究をされていて、講義をこっそり聴きに行ったり、先生のゼミで研究している友人に話を聞いたりしました。時間ができれば図書館まで行き、神戸新聞の過去の文献を調べることもありました。震災に関する知識やデータは、この7年間で驚くほど増え、被災地がどれほどひどい打撃を受けたのか知ることができました。

しかし、その一方で、どれほど知識が増えたとしても、実際に被災された人の気持ちを窺い知ることはできないのではないかと感じるようにもなりました。
私は山手から見る神戸の街並みが好きで、この風景を撮りに週末神戸まで出かけることが多くなりましたが、神戸の街の至るところにある慰霊碑を見るにつけ、私の見る神戸の街は震災後の神戸であって、震災前の神戸ではないということが心のどこかで引っかかっていました。目の前に広がっているのは、偽物の神戸である。本物の神戸は1995年に崩れてしまって、私は永遠に本物の神戸を知ることなくこれから生きていくことになる。偽物と本物。そんなことを考えると、頭が混乱してしまいました。

被災するという経験を(神戸の人と)共有していない自分が、これから何をすべきなのか分からなくなってしまっていました。被災することがそんなに大事なのか、それならいっそのこと神戸で生まれていたら周りから認めてもらえたのかもしれない。そう思うようになっていました。

***

そんなとき、應典院で開催されているコモンズフェスタ2010を知りました。大学時代からお世話になっていた花村先生は、他分野にわたり活躍され、一貫して社会の問題をどうやって解決していくか考えておられました。今回の震災の企画についても、きっと素晴らしいものになるに違いないと思いました。震災時に就職していなかった世代が、分野や地域を越え、15年経った震災をどのように捉えるか、という視点は今までにないものでした。震災とどう向き合っていくか、ずっと考えてきた私にとって、これほどの機会はないと思いました。

小雨が降る中、辿り着いた應典院は、およそお寺とは思えない建物でした。コンクリート打ちっぱなしの現代的建築は、お坊さんが本当にいるのか疑ってしまいたくなるような印象でした。震災とアートとの関係は、入口から始まっていたように思います。
1階の花村先生の作品を見た後で、被災者の方から寄せられた手紙を見ようと、2階に上っていきますが、階段ももちろんコンクリート。コツコツと歩く足音が響きます。階段にお地蔵さんが置かれてあったことと、左手に墓地が広がっていたことから、ようやくここがお寺であることを認識することができました。

階上にある気づきの広場には緑の芝生が広がり、その上には花村先生の作成したトランスパブリックが多数掲げられていました。が、肝心の手紙らしきものはどこにも見当たりません。もしや、もう供養が終わったのでは、と焦る私は、山口さんのおかげで、手紙が気づきの広場のあちこちに埋もれていることを知ることができました。
街のあちこちに震災で心を痛めた人々の日常の溢れる思いが埋もれていて、広場が街を自然なままに表現していることに、はっとさせられました。瓶の中にある手紙、壁にくくりつけられた手紙、自転車のかごに入れられた手紙、本に挟まっている手紙。注意深く見ると、たくさんの手紙があることに気付きました。私がたくさんの手紙を見落としてしまったのは、そんなふうに実際の街を大雑把に眺めていたからなのかもしれません。特別なところではなく、身近なところにちゃんと震災のヒントは存在しているのかもしれない、と考えさせられました。

***

たくさんの手紙に胸を打たれました。
失った人の悲しみ、失っていない人の悲しみ、今後どうやって生きていくのかという悩み。気づきの広場には、震災で生まれた生き場のないいろんな思いが溢れていて、それらに接するたびに、やりきれない思いになりました。

私はその中で、京都で震災を迎えた女性の方の手紙を選びました。
ぐらぐら揺れていたのは、地震の方ではなくて、私自身の心の方でした。震災に対して何もできず、間延びしながら生きていました。という手紙は、何もできずに今後の生き方を模索しているのが私の心境と似ているように感じたからです。
普段書く何十倍も速度を緩め、文字を写し取っていきましたが、書いた人の字の(止めや撥ねといった)特徴から、彼女が文章中でどんな気持ちになって書いたのか想像しました。人が紙という媒体にアナログで書く(パソコンによる出力ではなく)行為は、思いをのせる行為で、それをトレースすることは、その人の思いに耳を傾け、真摯に受けとめることだと気付きました。忠実に、私情を挟むことなく人の思いをしっかりと引き取ることで、書いた人の思いはちゃんと供養されるのだと解釈することができました。

トレースした後、参加者の間で手紙を読み合い、その中で一つだけ単語を広辞苑で調べましたが、一つの言葉にたくさんの意味があることに驚かされました。当たり前のことですが、多義語の組み合わせで文章は成り立っています。それでも意味を履き違えることなく読めるのは、書く人が文章中で意味を限定しているからですね。手紙をしっかり読み取ることは、書いた人の思いを丁寧に読み解く行為に他ならなかったのです。

せっかく書いた手紙をなぜ燃やしてしまうのか。お寺に来るまでそんなことを考えていた私は、しかし、気持ちが穏やかになっていくことを感じていました。京都の女性の思いを引き取った私は、しっかり成仏させてあげようと思いました。彼女の思いは私の心に生きています。それは、私が祖父の葬式で感じた、寂しいけれどすっきりした、あの不思議な経験に似ていました。

お焼香の後、手紙を燃やします。ごうごうと火は燃え盛り、私は一瞬手紙を入れるのをためらいました。きっと成仏されるには大きなエネルギーが必要なのでしょう。その力に圧倒されました。手紙はあっという間に黒く小さくなっていき、彼女の思いは無事に供養されました。

参加者の方との歓談のとき、私は最後、山口さんと岩淵さんに救われました。私はずっと自分のことを震災の当事者でないと決め込んでいましたが、そんなことはない、あの1995年1月17日、テレビで神戸のことを聞いて少なからず心を痛めたはず、それならば震災の共有体験者として、そのとき世界に自分が存在していたと言えるのではないか、と声をかけていただいたのです。仏教ではそもそも、無縁であることはありえないと考えるそうです。無関心であった私も、震災についてこれから自分なりの供養ができるのではないか、と考えることができました。ありがとうございました。

***

仏教とアート、というとても相容れることのなさそうな両者が、供養というストーリーでつながっていたことに、ただただ驚きました。街に埋もれているたくさんの人の思い。それを掘り起こし、解きほぐし、その思いを変色させることなく供養し、また土に返してあげること。人の一生とまるで同じですね。人は亡くなっても、他の多くの人の心の中で生き続けますが、震災の思いも、きっと世代を越え、生き続けていくのだと思います。アートがその手助けをしてくれたように、私は感じます。その意味で、小さな女の子が二人、あの場で大人たちの話を熱心に聞いてくれたのは、(大人たちは難しいことをしていると思われるかもしれませんが)経験として貴重であったと思います。それは、彼女たちにとっても貴重であったのと同時に、震災を伝える社会の立場から見ても大変に貴重であったのではないでしょうか。

震災についてできることは、こうやっていろんな思いを汲み取っていくことではないかと思います。確かに、神戸は変わりました。震災前の神戸を見たことがないので、変わったと表現するのもおかしいと思いますが、しかし、いくら変わったとはいえ、多くの人の思いがまだ生きています。今の神戸も充分神戸であって、そこに、先の偽物本物といった概念は出てこないはずです。神戸を愛する者として、そして、神戸で生活する人たちを愛する者として、神戸の身近にある、いろんな人々の思いに耳を傾けていけるような、そんな人間でありたいと思います。

そして、自分自身が、生きることに対して前向きでありたいですね。何事もなく毎年1月17日を迎えることができるのは、奇跡です。自分で人生を選び取っているようで、やはり生かされているのですね。感謝しながらこれから生きていこうと思います。


最後になりましたが、今回の参加者の方とも何かしらつながっていけたら、と思います。共に過ごしたあの経験はとても大きいと感じています。さらに次の15年、あるいはその先の30年、震災の人の思いを伝承していけることができたらいいなあと思います。

ことばくよう

 1月31日14:00からコモンズフェスタ最終プログラム「ことばくよう」がはじまりました。7歳、10歳の震災を知らないお子さんも来られていました。
 震災の頃、私は中学2年でした。震災の様子はテレビで観るくらいで、現場の様子まで知らない状態、何か出来た事と言うのは、少額の募金くらいでした。「知ってはいるけど……」くらいの知識の私には、非常に興味深いプログラムでした。

 最初に上田假奈代さんに詩を読んで頂きました。それぞれの気持ちを持ち、2Fの気づきの広場に出来上がっている公園に行きました。その展示の中のあらゆる所に手紙がありました。瓶の中に入っているもの、クリップで柱に付けてあるもの、スキマに挟まれているもの……参加者は、手紙を見つけては、読み、手紙を選ぶ、様々な手紙を参加者は、真剣に見つめ、読んでいました。

 手紙を選ぶと「トレース」に入る。手紙の上に薄い紙(トレース用紙)を置き、手紙の文字をなぞる。こういったトレース工程を通じて、手紙の思いを知れたのではないでしょうか?目から感じるのではなく、指から人の気持ちを感じる。コピー機では感じる事が出来ない大切な時間になった事と思います。次に使うアイテムは「辞書」でした。手紙を読み、感じた言葉を聞いている方が辞書を引きその言葉の意味を知る。普段、自分が「言葉」を簡単に使っているなと感じた。本当の言葉が持つ意味を知り、「へぇ」と皆、が笑みをこぼす。ゆったりとした時間が有意義に過ぎていきました。

 焚き上げをする時に、クロージングトークの準備があり参加ができませんでしたが、当日、降っていた雨が切なさを演出していたように感じました。

(事務局:森山博仁)

ことばくよう>さとうひさゑさんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「4つの物語」と銘打ち、震災15年のことばを取り扱った企画「ことばくよう」のトレースからご参加いただいた、さとうひさゑ(ART PLAN MAZEMAZE)さんに寄せて頂きました。




「ことばくように参加して」 さとうひさゑ

 わたしは今回の催しに参加している間複雑な気持ちでした。
手紙を写したり、朗読したりしながら、わたしがこの言葉を供養するのに適切な人間なのだろうか、と。
手紙に書かれたことばと、その向こうにある人と、今ここにいる自分。
 また、ほかの参加者が読み上げる手紙の内容を聞いていると、より気持ちをどこに置いていいか分からなくなりました。
震災という起点から始まるそれぞれの経験、それぞれの気持ちそして1995年1月17日から現在までの時間…
わたしとは安易に共感できない距離がありました。

 最後に手紙を火にくべてると、初めて自分の感情らしきものが湧いてきました。悲しくて燃え尽きるまで見ていたいと思いました。

 途中進行役の岩淵さんが、今回の仕掛けについて「お葬式のときにお坊さんはどんな気持ちなんだろう」ということから発想した、とお話されました。
 数日たった今思い返すと、わたしが感じた「距離感」はそういう宗教者の気持ちなのではないかと感じてきました。
 「ことば」と「供養」の間をとりもつ触媒になる体験だったのだろうと思います。

ことばくよう>倉田めばさんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、今回は「4つの物語」と銘打ち、震災15年のことばを取り扱った企画「ことばくよう」に、2通のお手紙を寄せていただき、また、20日のワークショップにもご参加いただいた、倉田めばさんに寄せて頂きました。



「ことばくよう」では詩の学校で書いた2篇の震災にまつわる詩を送ったものの、まだこの企画の全体像がつかめておらず、最終日「浄焚の声と火に見えるもの」を見届けようとコモンズフェスタの会場にでかけました。
 應典院2F気づきの広場でたまたま手にしたのは、被災され、かけがえのない肉親を喪った年配の女性がしたためた一通の悲痛な手紙でした。
 場所を幼稚園の一室に移し、その達筆な手紙の上にトレペを重ね、文字をゆっくりと丁寧に鉛筆でなぞっていくワークと手紙に書かれた言葉を朗読するワークを参加者全員で行いました。
 15年前、震災直後の報道を見たり、用事で神戸に出かける機会もあり、実際に被災された方の言葉を聞いたりもしましたが、この方の手紙の言葉をなぞったり、声に出して読んでみてはじめて、被災された方の心の痛みが感情の深いレベルで少し実感できました。なんというトラウマでしょう!喪失感・・・罪悪感・・・悲嘆・・・慙愧の念。そして死者への誓いと祈り。
 言葉にされることない心の爪あとは、深い傷口を開いたまま、水平線の見えない暗黒の海に死者とともに呑み込まれていきます。トラウマは語ることで回復に向かうといいます。
 「ことばくよう」のフィナーレは大蓮寺での手紙のお焚き上げ。燃え盛る火の中で手紙を書かれたこの方の心の傷はずいぶん癒されたのだろうと手を合わせながら信じることができました。
 願わくはもっと多くの被災された方々が、この企画を知ることができればと思いました。

                                 2010.1.31めば

詩の学校「ことばくよう」特別編>魚谷尚代さんのレポート

コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、2000年から應典院で開催されている上田假奈代さんの「詩の学校」のコモンズフェスタ「ことばくよう」の特別編「<ことばを結ぶ>」について、詩の学校への念願の初参加となった魚谷尚代さん(劇団コーロ)に寄せて頂きました。



かなよさんが、詩はこういうことを意識して読んでねと教えてくれて、詩を読むことに少しは寄り添えたかなと思います。
役者としての目線からは、表現を仕事にしていない方のほうが大胆に素敵にびっくりするような朗読をされていて、とても勉強になりました。
帰りに一緒に帰った方と共通点が多く、最近の参加イベントも一緒だったりとかで、ワークショップに参加してよかったなと、おもしろい縁を感じました。
ありがとうございました。

詩の学校「ことばくよう」特別編>きむいっきょんさんのレポート

 コモンズフェスタ2009/2010「U35の実力」、モニターレポートシリーズ、2000年から應典院で開催されている上田假奈代さんの「詩の学校」のコモンズフェスタ「ことばくよう」の特別編「<ことばを結ぶ>」について、きむいっきょんさんに寄せて頂きました。




みんなで15年前を振り返って詩を作り、朗読することは少し祈りに似ている気がしました。
それぞれが抱くばらばらの気持ちが、「詩」という表現によって積み上がっていく。
言葉が重なる。
積み上がる。
同化したり混ざったりするのではなく、違うからこそどんどん積み上がる。
それはなんだか祈りに似ているなあと感じました。

(きむいっきょん)


ことだま

ひとつまたひとつと発見して
そっと開いてみる。

トランスパブリックの中で作られた
公園空間のなかにその手紙たちはいる。

たとえば













ブランコのたもとに


たとえば













自転車の荷台に

ほかにもさまざまなところに
詩人・上田假奈代さんと美術家・岩淵拓郎さんの手によって
手紙はちりばめられている。
それは実際に探して戴くとして・・・
この手紙は「震災15年の手紙」である。

あの日の記憶
あの日からの記憶
が手紙には綴られている。

なにかに突き動かされたかのように書きなぐられた手紙
そこに思いを込めるかのように一文字一文字整然と書かれた手紙
静かな思いが伝わってくるようなパソコンで打たれた手紙

どの手紙にもあの日がある。
それぞれがそれぞれの場所でそれぞれの思いで経験した
あの震災。

15年経った今
決して震災の記憶としては生々しくはないその手紙が
逆にリアルに過ぎた年月を感じさせて生々しい。


私もあの日、
地震で飛び起きた。
大阪の山近くの
一人暮らしの部屋で
まだ固定電話しかなかった
その電話を握って友達と連絡を取り合った。
あの日を境に
何人かの友人が大学からいなくなった。
あの友人たちは今どうしているんだろう。


31日には寄せられた手紙を
供養と請願の意味を込めて浄焚する。
15年前の記憶や想いとともに
手を合わせてみようと思う。


                  (T.K)
















































ことばくよう~死を悼み、生を誓う4つの物語~



いまは会えない絶対的な他者に思いを馳せ、
今の時代と共鳴することばを探す。
その思いが声になったとき、
響き渡る空気の振動に耳を澄まそう。

<ことばが呼ぶ>展示「ことだまはこだまする」
震災15年に寄せられる手紙。その「引き受け方」を巡って
「供養」の意味と有り様を問い直す。
展示構成:上田假奈代(詩人・詩業家)
     岩淵拓郎(美術家/執筆・編集者)
○日時 1月16日(土)~31日(日)10:00~20:00
○参加費 無料

<ことばで悼む>募集「震災15年の手紙」
あの人へ、自分へ、あるいは誰かへ。

上記の展示のための「あなた」のことばを封書で應典院まで。
○日時 2009年12月16日(水)~1月31日(日)【13時半必着】
○参加費 無料(投函の際には切手の貼付を)
○応募方法 封書にてお送りください。文字数、枚数は問いません。
 ※差出人のお名前・ご住所は封筒裏面にお書きください。
○あて先 〒543-0076 大阪府大阪市天王寺区下寺町 1-1-27 應典院寺町倶楽部

<ことばを結ぶ>ワークショップ「詩の学校」
毎月開催の詩作と朗読の場の特別編。上記の展示に
目を向け、「わたし」のことばを紡ぐ。
講師:上田假奈代
○日時 1月20日(水) 19:00~21:00
○参加費 無料
 *筆記用具持参
○定員 15名



<ことばに誓う>パフォーマンス「浄焚の声と火に見えるもの」
集まった手紙たちを会場のみなさんとともに読み上げ、
浄土宗の儀式に則って焚く。
供養と誓いの場。
進行:上田假奈代・岩淵拓郎・山口洋典
導師:秋田光彦(浄土宗大蓮寺住職)
○日時 1月31日(日)14:00~16:00
○参加費 無料
○お申し込みサイト「上町台地.cotocoto」
http://uemachi.cotocoto.jp/event/36409
※上記リンク先の右側にある「参加申し込みはこちらから」よりお申し込み下さい。