「ことばくように参加して」 さとうひさゑ
手紙を写したり、朗読したりしながら、わたしがこの言葉を供養するのに適切な人間なのだろうか、と。
手紙に書かれたことばと、その向こうにある人と、今ここにいる自分。
また、ほかの参加者が読み上げる手紙の内容を聞いていると、より気持ちをどこに置いていいか分からなくなりました。
震災という起点から始まるそれぞれの経験、それぞれの気持ちそして1995年1月17日から現在までの時間…
わたしとは安易に共感できない距離がありました。
最後に手紙を火にくべてると、初めて自分の感情らしきものが湧いてきました。悲しくて燃え尽きるまで見ていたいと思いました。
途中進行役の岩淵さんが、今回の仕掛けについて「お葬式のときにお坊さんはどんな気持ちなんだろう」ということから発想した、とお話されました。
数日たった今思い返すと、わたしが感じた「距離感」はそういう宗教者の気持ちなのではないかと感じてきました。
「ことば」と「供養」の間をとりもつ触媒になる体験だったのだろうと思います。
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