観劇レポート【1/14:満月動物園『太陽物語』】

満月動物園 第壱拾八夜
『太陽物語』
演出・脚本/戒田竜治
@シアトリカル應典院

チラシの裏には、とても魅力的なあらすじが書かれている。
“シセツ”で育った私たちの、誰かが死んだ時には自分たちでお葬式をしよう。
いつまでも“カゾク”でいるための約束。
その時は考えていたよりもずっと早くやってきた。
この通りの会話劇があったとしても何の不思議もない。
ところが冒頭から血しぶきが上がり、全身を真っ赤に染めてゆく女のモノローグから始まる。

やはり満月動物園だ。
ステキな会話劇を思わせるチラシのあらすじは、どんどんステキなストーリーから離れだし、おどろおどろしい物語へと変貌していく。
孤児院と思われたシセツは、クローン人間の実験用施設であり、家族のように接していたシセツの仲間たちは、同じ遺伝子を持つ自分自身だった。
かつて数十名の自分自身が殺し合い、最も人格の離れた5人が生き残った。
やがてその中の一人は、偶然か必然か、オリジナルの自分自身と出会い、当人同士も理解不能のまま殺されてしまう。

お葬式と言いながら、どこか愉しげな仲間たちの動的なシーンと、刑事に取調べを受けるクローンの元となったオリジナルの女性の静的なシーンが、意図的にコントラストを際立たせ、静と動の繰り返しが徐々に融和して行く構成で、いつもの公演では無くても良いのでは(失礼!)と思える映像も、今回は作品に上手く溶け込み、良い効果を生み出している。
中盤からミステリー色が強くなるが、決してストーリーを見せたい訳ではない。
誰もが自分を自分たらしめるために、自分の中のもう一人の、或いは複数の自分自身を殺して来た。
いくつかの選択肢を諦め、無かったことにして来た。
だが本当は、今も心の奥底に隠れながら、密やかに暮らしているのかも知れない。
これは、今も誰しもの中にひっそりと棲む、自分自身と向き合う物語である。
それを解放し、内から外に、日の当たる場所に、今一度解き放つ物語なのだ。
文頭におどろおどろしいと書いたが、決してそんなことはない。
とてもステキな物語だ。
わたし(たち)の、わたし(たち)による、わたし(たち)のための鎮魂歌。
『太陽物語』
タイトルに込められ思いが、あとから程良くじんと来る。

塚本修・CQ)



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