議論するのではなく、自分のグリーフカラーを小さな紙に表現したり、2時間ひとりでフィールドウォッチングをしたり。あくまでもひとりで自分と向き合い、心地よい沈黙の中で参加者の皆さんと空間を共有することができました。
「グリーフ」という言葉すら知らなかった私ですが、このワークを通じて、亡くなった人やモノを想う時間の大切さや、いま生きる自分と人とのつながりについて、考えるきっかけを与えられた気がしています。
なくなったモノだけではなく、なくなる過程も含めてグリーフだそうです。なくなろうとしているモノとのつながりに気付き、想うことができれば、何か行動を起こせるかもしれません。自分と人とはつながっているから、だから想い合い、助け合い、その人の立場に立って苦しみや悲しみを共感できる。
そしてそれがボランティアやNPOみたいな「形」になれば、またそれが共感を呼んで、輪が広がっていくのだと思います。
休日にひとりで「死」や「別れ」と向き合う、という機会はなかなかないので、とても大切な、いい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
臨床心理士の宮原さんををはじめ、同じ空間でグリーフタイムを過ごした皆さんとも、深い部分でつながれた気がします。
ひとりで過ごす、大切な人との大切な時間でした。

松隈まりえ(同志社大学政策学部4回生)
おつかれさまでした。
返信削除と、いうとなんだか変ですね。
つかれる、というのは、合わない。
「亡くなった人やモノを想う時間の大切さや、
いま生きる自分と人とのつながりについて
考えるきっかけを与えられた気がしています」
という言葉がとてもこの会の意義を伝えてくれているような
気がします。
このグリーフタイムがより多くのひとに届きますように。