共感による現場主義の営み【1/18:「お寺MEETING」のレポート】

 宗教を信じる者にとって、その信仰のなかで如何に救われるか、すなわち救済論(soteriology)が重要となる。そのための方法が、念仏、題目など様々な宗教的行為・儀礼の実践である。では、宗教を信じない者は救いを求めていないのだろうか。否、娑婆世界での苦、難儀から逃れようと、幸せを求めている。社会構造の変化により流動性の高い社会となった今、自己責任のもと、苦からの脱却が個人単位で問われる時代。無縁社会とも言われるつながりが無い一個人の苦に対峙するには、人間力が問われる。そのような人間力がある宗教者もあれば、そこを避けて居心地のよい世界にとどまる宗教者もいる。今回のお二人は、ともに娑婆世界の苦に向き合う生き方をする。社会正義から立ち上がるヒーローではなく、縁あって現場を見て、知った。同じ社会に生きる人間として、その現実に対峙したのだ。それは「共感による現場主義の営み」だ。
 混迷の時代、貧困、病気、対人関係の悩み、心の病い、孤独からの救いを求めている人が多数いる。そして、縁あって伝統仏教、神道、キリスト教、新宗教、あるいはNPO、自助グループなどで苦から幸せへの道を探求する。彼ら、彼女らの苦から救いの叫び、その苦は、宗教者にとって自らの人間力をさらに磨きあげる砥石であろうか。そのような体験主義はNPOのスタッフ、ボランティア、宗教者に通低する、人格、人間力を陶冶する生き方の姿勢だ。
 信仰に加え、現場での体験の積み重ねが、その人をして、まわりの人に安心感を与える社会的人間を生み出す。それは、何か遠いところにある聖人ではなく、人間味ある、社会に生き得る宗教者だ。見えない形かもしれないが、これも社会に貢献する一人の人間としての宗教者の姿ではないだろうか。そこに、次代を担う青少年のロールモデルを期待するのは私一人ではないだろう。


稲場圭信・大阪大学大学院人間科学研究科准教授)

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